2011年 12月 07日
![]() 旅から帰ったら. 小包郵便が届いていた。 カナダのOさんからである。 届いたのは2012年のカレンダーで、 アンセル・アダムスの素晴らしい14枚の細密な風景が、 モノクローム写真で飾られている。 ![]() この一年、送って下ったカレンンダーを日々眺めることで、 適わないまでも諧調豊かなモノクローム写真への憧憬が強まったことは確かである。 アンセル・アダムスの写真は8×10”の大判カメラを使い、 フィルムの感度(露出)と現像時間を組み合わせることで、 白から黒へのトーンをコントロールする「ゾーンシステム」を編み出したことで知られる。 愚生も昔「ゾーンシステム」を試したが、 ネガの諧調を撮影意図に合わせてコントロールでき、 そのネガから印画紙に焼いたときの仕上がりは、「これぞ写真」と呼べるものになった。 しかし、ゾーンシステムを楽しむには暗室が必要で、 暗室がない今は「望んで叶う」ことではない。 来年もアダムスの写真を眺めて過ごせるのが嬉しく、 この悦びを贈って下さったOさんに、 心から感謝を申し述べたい。 2011年 11月 24日
昨日の朝は 雲一つない秋晴れであった。 それで リコーのモノクロモード+YA3で、 空がどう落ちるか試す絶好の機会とテストした。 下は左がノンフィルター、右がYA3を用いたもので、 ![]() ご覧のように、右は何故か2/3絞りアンダーで、 露出はTTLで計ろうからフィルターの倍率は自動でされるはずなのに、 それがないのは計量の仕組みがフィルムと違うのかも知れない。 でそれをパソコンで修正したのが下の写真で YA3で撮った右の写真を、少し明るくしてコントラストも上げてはみたが、 ![]() 青い空色は、カラーパッチ程に暗く落ちなかった。 銀塩フィルムでは、もっと効果があったように思う。 ![]() この因は、光の向きか露出なのかは不明であるが、 これからいろいろと試したらはっきりしよう。 YA3では期待したほどではなかったので、 R2で一度試してみよう。 2011年 11月 14日
愚生の休日は実につまらなく、 根が生えたように一日椅子に座っているだけである。 五体満足なら、 ゴルフの道具をいじったり素振りをしたり、 はたまた庭で短いアプローチの稽古をしたり・・・と体を動かすが、 五体不満足のいま、唯一の楽しみの写真のことをあれこれ想像するのが精一杯といえる。 その写真のことで、 リコーのデジモノにフィルターをかけると効果があることが分ったが、 ではデジタルのカラーにフィルターをかけて撮って、 それを色抜きしたらどうだろう・・・と考えた。 早速試したのが下である。 ニコンD200にマクロ60mmをつけ自然光下でカラーコントロールパッチを撮ったが、 ![]() 左からカラー、R2フィルター、フォトショップで色抜き、ニュートラルグレーをニュートラルに調整したものだが、 ご覧いただくようにコントラストが低い。 次は、リコーのモノクロモードで撮ったもので、 ![]() 左からニコンカラー、リコーでノンフィルター、R2と並べたが、 コントラストもあってデジタルカラーの色抜きと違いフィルター効果も見られる。 テストを終えたところで、 普通のデジカラーから色を削除したらどうなるかと興味が湧いて、 ニコンで撮った写真から色を抜いたのが左で、右はリコーのモノクロである。 ![]() 大方の写りに大きな違いはないが、 ただイエローとシアンの感色性は大分異なるようで、 両色ともリコーの方が明るく写っている。 この違いは何からくるのか愚生にその知識はないが、 手慰みで撮る写真、大したものではないから、 これで十分でと考える。 にしても、こんなことに費やす時間があるのなら、 写真の一枚も撮れよ・・・お思いだろうが、 そこが怠け者たる所と云えよう。 2011年 11月 13日
昨日、リコーのモノクロは使えるとした。 でふとデジタルのモノクロ(デジモノ)で、 YやYA3、R2といったコントラスト調整用のフィルターを用いたらどうなるかと思ったので、 コダックカラーコントールパッチを撮って試してみた。 結果は左(クリックで拡大)で、パッチの次にノンフィルター、YA3、R2の順に並べたが、 同色は明るく、補色は黒く落ちてパンクロフィルムと変わりないことが分って、 白く飛ぶ空の色を少し落とすために「Y」(黄色)を常用するのがよいと思うし、 作画意図にあわせたフィルターワークができるのも楽しい。 それが分ってデジモノで撮る楽しみが一つ増えたが、 デジタルでモノクロが楽しめるならフィリムは不要・・・と思わぬでもないが、 フィルム(銀塩)からプリントしたときの軟らかさ、キャリエ効果はデジタルに望むべくもなく、 如何にデジモノが簡便だろうが、モノクロ写真はフィルムでないと・・・と思う。 肩が癒えて普通に体が動くようになったら、 フィルムカメラを担ごうと楽しみにしている。 その時はゴルフに熱中していたりして・・・。 2011年 11月 11日
何事も構えると難しくなる。 ゴルフにしてもスイングプレーンがどうのと云いだすと、 途端に難しいものになってしまう。 写真もそうで、 光が、構図が、ピントや露出は・・・・・と云いだすと小難しくなるから、 そのようなことは云わず、趣くままに撮るのがよいと思う。 このことから、写真を撮る理想は構えずに「歩きながら撮る」ことだが、 実際には「歩きながら」ではブレて撮れないであろうから、 面白いと思ったものを素直に撮る・・・の意で、 つまり無欲無心になることである。 写真で「無欲無心」を習得したら、 ゴルフにも通じると思うのだが、 そうはいかないか・・・。 2011年 11月 10日
昨日のこれで、 長く別府航路に乗っていないとしたが、 昨年の12月に乗っていた。 それを思い出したのは、 昨日の記事を出稿したあと、別府十文字平から撮った6枚目から、 去年、扇山で遊んだときに訪ねたはずと調べたら、 写真の日付が12月22日であった。 ![]() その写真を2枚並べると、 左の20年昔は草原地であったところが、 右の昨年のは草地を拓いて平らに均し建物群で埋まっていたから、 その変わりように驚いた。 これは何も別府に限らず、 来島海峡にも来島大橋が架かって、 20年前とはすっかり景色が変わったであろうと観ずとも想像できる。 このことから、今見る景色も日々移ろうもので、 今を写真で残す事も大切なことだと、 痛感した朝である。 2011年 11月 09日
新聞を開いていた奥方から、 来年、別府航路開設100年になると聞いて、 20年も昔の記憶が戻った。 今から丁度20年前の1991年。 翌年迎える別府航路80周年、会社創業50年を記念して、 関西汽船からカレンダーを新しくしたいから提案せよと仰せつかった。 海と船が大好きな愚生には嬉しい仰せで、 持てる海事知識を総動員して、「船旅へのいざない」をテーマに美しい瀬戸の風景に船を置いて、 見る人を船旅にいざなうような絵柄のカレンダーを提案し、 関西汽船の理解を得てとりかかった。 その第一回は「航景」と題し、 別府航路の寄港地である、大阪、神戸、坂手(小豆島)、高松、今治/松山、別府の風景でと決めたが、 ではどこからどう撮るかとなると具体的なアイディアは何もなく、 陸から撮るので船が(陸に)近寄るところを海図で探し、 それを現地で確認して撮影場所を決めた。 ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() 撮影は5枚目を飾る来島海峡から始まった。 来島は潮の向きで航路が変わり、順潮は中水道、逆潮では西水道となるから、 別府行きが夜明けぬ西水道を往くところを撮りたいので、潮流表から逆潮と日の出の時間を選んで撮影に臨んだ。 撮影は3月末であったが、船の通過は夜明けに遠い時間で、 逆潮といえ船は15ノット以上で通過するから、その船をブラさないで撮るために、 船までの距離と速度から計算してシャッターを1/30として臨んだら、 ISO400で絞りを開放にしても露出は不足し、 どうかと心配したが写っていてホッとした。 後は明るいところで撮るから難しいことはなく、 瀬戸大橋・小豆島大角鼻・別府・神戸・大阪と撮影は進んで、 関西汽船創業50周年と別府航路80年を寿ぐ1992年のカレンダーは完成し、 拙い写真であったが好評で、以後、 1993年 燈景 1994年 島景 1995年 岬景 1996年 季景 1997年 港景 1998年 航景II 1999年 灯景II 2000年 橋景 と続くことになり、作画に欠かせない「望むところ」に船を配置できたのは、 運航クルーの方々の協力あって叶ったことで、 今も感謝の気持ちでいっぱいである。 がそのカレンダーも、 2000年を最後に惜しまれながら廃刊となったが、 今も海と陸の呼吸が合って狙い通りに運んだときの快感が蘇るから、 関わった9年は人生で最も満ち至福の時であったといえる。 長く別府航路には乗っていない。 ゴトゴトと伝わる心地よい振動に身を預けたくなったので、 一度機会を・・・と思う。 2011年 11月 06日
![]() 食卓に朝餌が用意されていた。 朝餌といっても茶粥に梅干・塩昆布といった粗末なものだが、 その粗末な餌で腹を満たし命をつなぐからありがたい。 いつもなら慌しく動く奥方を見ないので、 ひょっとして・・と期待して部屋を覗いたら寝んでいる。 で「どうしたの」と聞いたら風邪気味なのでというから、 期待外れにガッカリしながら「ゆっくり休みなさい」と心にないことを言ってしまったが、 口喧しいのが寝込んだので土曜日は「のんびり」できると悦んだ。 悦んだが片付が残っていて、その整理に欲しいものがあったので、 近くのホームセンターまでモノクロで撮れるリコーGX100を手に持って歩いて行った。 陋屋から2キロはあるが運動不足を補うに「よい」距離である。 ホームセンターで用を足したあと、 店内を隅々まで観察したが、「何に」つかうのか分らないものもあって、 使い方を想像したり店員に聞いたりし退屈しない時間を過ごした。 それを終えて外にでたら雨が降っている。 家をでるときも「ポツリ」と来たが、ポツリだけだったので、 大丈夫と多寡を括っていたのが店に居た時間が長かったので本降りになったようだ。 それで「傘」を買おうかと思ったが、 寒くはないし大した雨でもなく、500円を惜しむ気もあって「濡れよう」と歩き出したが、 20分では結構濡れたが、雨に濡れる楽しさを味わった。 で「撮る」と手にしたカメラは、 行きは運動のために早足で歩いたから写真どころでなく、 帰りは雨に濡れるのを楽しんだので撮る方に気が回らず、 店をでたところで撮った一枚だけである。 今朝の奥方は忙しげに動いていて、 嬉しいやらガッカリやら複雑である。 2011年 11月 03日
今日は文化の日。 娘に貰った入江氏の写真集「昭和の奈良大和路」は、 形がB5版の小型であることから、 肩が凝らないとした。 懐かしい風景が詰っているので、 時々開いて感傷に浸っているが、 入江氏は日常の暮らし風景を小型カメラで記録していることに気付いた。 入江氏の写真は、 奈良の万葉の風景や古寺、仏像を大判カメラでしっかり撮った写真を思い出すが、 「昭和の奈良」はそうでなく35mmや66番の小型で撮っている。 カメラは小型だが、その写真に乱れたところはどこもなく、 流石と感心するが、それよりも「身近を記録すること」は、撮ったときは意味なくも、 時間を経るにつれ意味がでることを教えられた。 で「何か」と構えたら芸術写真(この言葉は嫌いだが)となるので、 カメラや色の有無に拘らず、面白いと思ったものを撮って、 その日時と場所をメモしておくことにした。 となると写真を撮り始めてから、 何万枚撮ったか数えられないほどの原板を、 捨ててしまったのが何とも惜しい。 午後から晴れるという。 思い立ったが何とかで、 カメラを手に近所と思う。 2011年 10月 30日
![]() ![]() 昨日も素晴らしい秋晴れであったから、 写真を撮るかと思ったのを止めたのは、 娘が贈ってくれた一冊の写真集である。 本は、写真再開を知った娘のお祝いで、 奈良の風景の写真を生涯の仕事にした入江泰吉氏の「昭和の奈良大和路」だが、 写真集といっても大仰な構えでなく、A5サイズの小型のもので見るに負担がなく、 昭和20-30年頃の奈良風景が白黒写真で収められていて、 家並みが低い風景は何とも穏やかでなつかしい。 愚生が奈良に好感を抱くようになったのは、 大学入試を終えた飽和31年の早春に、友人 I 君の案内で訪ねたときに始まるが、 西の京で電車を降りて薬師寺から唐招提寺、平城宮跡から畦道を辿って東に興福寺五重塔や東大寺大仏殿、 若草山から御蓋山まで遮るものがない「のどかな風景」に安らいだのを昨日のように思い出す。 それ以来、奈良の虜になり通学の定期代は奈良への汽車賃になり、教科書はフィルムに化け、 そのお金もなくなると「キセル」それも「片口」で通ったから、お熱のほどが伺えよう。 それだけの熱も、他に興味が向くと薄らいで奈良通いの数は減り、社会人になると失せていた。 20年程前に奈良の外れに居を移したことで奈良は暮らしの場となって、 奈良の景色を日常に眺めるようになったが、薬師寺に新伽藍ができ、般若寺も荒寺でなくなり、 市内にはビルが無作法に建ち奈良の長閑な風景はどこもかも消えてなくなった。 贈られた写真集には勉学でなく奈良通いに勤しんだ頃の風景が記録されていて、 その頃の数々の思い出が鮮明に蘇ったから、 時々に眺めては「なつかしい」に浸ろうと思う。 < 前のページ次のページ >
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